書くということ
学伸館では、生徒が感想ノートに授業後の感想を書いて提出して帰るということを30年近く続けてきました。毎回10行以上を目標に書くことになっています。しかし、中には全然書くことがないという理由で「楽しかった」「つかれた」「今日は雨がふっている」など、短い文章もあります。
中学生は、部活や委員会などで忙しく、塾に来るのも必死の思いで、疲れはてていることも珍しくありません。その生徒達に向かって「10行以上書いて帰れ」などど言うことは、少し酷なことかもしれませんが、忙しいからこそ、1日の中でほんの一瞬でも自分自身を見つめる時間をとって欲しいのです。
書くということは、話すことよりも面倒なことかも知れません。同じ出来事を会話の中で取り上げる場合と、文章で表現する場合とでは、文章の方がはるかに時間がかかるし、上手に言い表せない場合が多いでしょう。だからと言って、できないと投げ出してしまっては、せっかくの機会を逃してしまうことになります。感想ノートは、文章を書く訓練の場でもあるのです。
以前、中1の国語教科書に「秘密のノート」(黒井千次)という文章が載っていました。その中に「感じたことを文章に書こうとすれば、どう書けばよいかといろいろ考えなければならぬ。考えているうちに、その感じたこと自体について、さらにまた考えをめぐらす必要にせまられる。したがって、文章を書くことは、考える修練を重ねることにほかならない。」という部分がありした。「今日は悲しかった。」と書いたときに、人は悲しかった自分を誰かに訴えると同時に、そのことを深く考えている自分が存在するはずなのです。
考えることの大切さは言うまでもありませんが、実は、その考えるということもかなりの修練が必要なことなのです。塾での感想文は、「日記」とは違い、人に読まれることを意識して書くはずですから、自分自身が感じたことを頭の中で整理し、理解してもらうための説明も必要です。悲しかったら悲しかったと感じた理由や状況を、疲れたのなら疲れた理由をきちんと書いて説明すべきでしょう。1日のうちのほんのわずかな時間に、今日一日の出来事を思いだし、感じたことを文章化してみることは、自分自身の成長にとってとても重要なことだと思います。そして、塾に残されたノートは、その大切な記録なのです。