役に立つか立たないか

授業中にある生徒が「こんな問題解いて、将来役に立ちますか?」と聞いてきました。数学、特に複雑な計算や関数の問題を解いている時が多い気がします。また、歴史の教材をまとめさせている時にも「昔のことなんか勉強して役に立つんでしょうか?ちっとも面白くないし、興味をもてません。」と言った生徒もいました。おそらく周囲の大人や友人の中に「○○なんか勉強しても役に立たない」という人がいるのでしょう。小学5年生あたりから、教科に得意不得意が出てきます。成績は3段階ですから、少し理解が足りなくても、自分は平均レベルだろうと考えている場合は危険です。中学に進んで、定期テストで平均以下でも、授業が面白くない、先生の説明が分からないと言って逃げてしまうことになります。教科の学習以前に読み書きの能力や理解力に差がある場合、得意教科を少しでも伸ばす工夫が必要です。中3になって得意教科がある生徒は、「役に立つか、立たないか」という質問をしてこない場合が多いようです。
ある塾の気になるキャッチコピーが頭に残っています。それは「世の中の役に立つ子に育てたい」というものでした。すぐに頭に浮かんだのは「役に立たない子は育てないのか」という疑問でした。子どもはどんな子でも宝です。役に立たない子などはいません。生徒達が言っていた「役に立つか、立たないか」という発言の内容とは異なっていますが、役に云々で思い出しました。
私は、「役に立たない勉強はない」と常に言っています。この世の中にあるものは全て何かの役に立っているのです。大げさに言えば、森羅万象、存在するもの全て結びついているのだとも言って、生徒達を煙に巻くことにしています。

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